歴史年表

- 開創 -
住職過去帳によれば、中興開基と記されており、それ以前のことは不明ですが、開基は行基菩薩 (668~749) と云われています。
- 平安時代 -
寛弘 2 年(1005) に中興。
- 南北朝時代 -
正慶 3 年・建武 1 年(1334) 中野村道潅の地に足利氏勅願により再興。
- 安土桃山時代 -
天正 10 年(1582) に長宗我部元親の兵火で焼失。
- 江戸時代 -
元和 4 年(1618) 明王院末寺として、現在地より南に約 300 m の地、庚申原に再建後、焼失。
明暦 3 年(1657) 宥祥法印のとき、現在地に再建。
文政 8 年(1825) 宥光法印、玄関・庫裡・客殿を建立。
天保 5 年(1834) 宥寛法印、同 8 年まで 3 年有余を費やし、楼門・納屋・土蔵を建立。
- 近代 -
昭和 55 年(1980)、覺應師のとき、庫裡を改築、本堂修復。
平成 10 年(1998)、弘榮師、同 12 年にかけて客殿改築、本堂修復。

西光寺と末庵

西光寺にはいくつかの庵寺がありました。

昭和 16 年に施行された宗教団体法によって、寺院として資格のない庵寺は同年3月までに廃止するか、本寺に合併するか何れかの方法をとることとなりました。世話人会を開いて審議した結果、半数以上の庵寺は解散となり、西光寺末として約 300 年の歴史をもった庵寺は消えてしまいました。西別楚庵にはしばらくの間、庵守が住むようになりましたが、現在は礼拝所として残っているのみです。
別楚庵
別楚池(別楚庵付近からの眺め)
また、本町の観音庵は、西野川小学校の前身であり、現在は「銀杏庵」と称され、地域の会堂として残っています。
銀杏庵
銀杏の大木(敷地内には銀杏の大木があります)

<西光寺と学問>
明治初期、西光寺は香美の大野寺とともに地域の学問の向上に貢献しました。

明治元年、阿波の最後の殿様として封をついだ茂昭公は、明治維新の志士達の活動を目の当たりに見聞していたことから、広く国民一般から人材を養成することが必要だと考えられたとみえ、各地に郷(ごう)校を設けるようにすすめられたのが明治 4 年のことです。

阿波郡でも有志の方たちが力を入れて、同年 8 月、東では大野寺、西では西光寺の講堂をかりて、15 歳以下の子供たちを中心として 1 日 5 時間の授業が行われるようになりました。殿様は喜ばれ大野寺学舎に教英塾という額を下されました。一方、西光寺は西郷学校と称されました。ここでは珠算、筆算、漢字、習字、体操、剣術等が教えられました。西郷学校の生徒は凡そ 200 人、教員 6 人、世話係(授業補助)2 人を置き、この維持費は米 35 石でこれらの費用は地方の豪農、巨商等の寄付によって賄われていました。

のちに西郷学校は中野小学校と改称、賀茂神社境内に移り協和校、久千田小学校と改称されていきます。西野川村の観音庵を利用して創設されていた西野川小学校、明治 7 年に創設されていた勝命小学校と久千田小学校、3 校が統合し、いくつかの変遷を経て、現在の久勝小学校になっています。

久勝小学校
※ このページは、久勝町史に基づいて作成しております。歴史的事実と異なる場合には当寺までお知らせください。